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水と緑と人がきらめく輪でつながるまち海津

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2024年4月1日

ID:224

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市章

海津市市章の写真

3町の合併により躍動感あふれる市を築き、いきいきと元気に暮らす様子と、緑に恵まれ木曽三川が織り成すふれあい交流都市をイメージ。
水と共生するなかで市民の懐に抱かれながら成長する様も示す。

市の情報

法人番号

9000020212211

市役所所在地

〒503-0695 岐阜県海津市海津町高須515番地

人口

31,815人(令和6年4月1日現在計)

世帯数

12,588世帯(令和6年4月1日現在計)

面積

112.03平方キロメートル

市長

横川 真澄

位置・地勢・面積

岐阜県の最南端に位置し、西部・南部を三重県に、東部を木曽・長良川によって愛知県に隣接しています。新市の中央部を流れる揖斐川以東の地域は平地が広がり、以西は急峻な養老山地とその裾野に広がる扇状地・平地からなっています。一方、北部は、養老郡、安八郡に接し、東に羽島市に接しています。
東西方向は約13km、南北方向は約17kmであり、面積約112平方kmです。
地目別面積は、農用地(37%)と森林(26%)が多く、次いで河川・水路(16%)、宅地(10%)、道路(6%)、その他(5%)です。

自然

東海地方の代表的河川である木曽・長良川が東境を、揖斐川が中央部を流れ、市域内には北端を流れる大榑川、内水排水路としての役割も持つ大江川、中江川、養老山地の水を集める津屋川が流れています。これらの河川は、豊かな自然生態系が維持・保全され、住民の生活に密着し、やすらぎと潤いを与えているとともに、河川によってもたらされた肥沃な土壌に培われた豊かな田園地帯が広がっています。
また、西部には、標高500~800mの小高い山々が連なる養老山地があり、山麓では、みかん園や柿園が広がっています。
気候は、冬季に伊吹おろしと呼ばれる北西風が強いものの、伊勢湾などの海洋性気候の影響を受けて概して温暖な地域です。

歴史

養老山地の麓には貝塚や多くの古墳が残っており、縄文時代より人が住みつき早くから開けていた地域です。平地部は、木曽三川が蛇行して流れ、洪水のたびに流れを変え伊勢湾に注ぐ湿地帯でした。人々は、河川が造った自然堤防を活用して集落を形成し、水田を開くとともに、河川を利用して漁業を営んでいました。
江戸時代、海津の高須には城下町が形成されて伊勢地方と尾張・美濃地方を結ぶ交通の要衝として、また戦略上の拠点として重要な役割を果たしていました。平田の今尾には、港が造られ、河川交通の要衝として繁栄していました。(港は、昭和30年代まで活用されました。)
また、水害から集落や農地を守るために輪中堤を築き、屋敷の周りに石垣を積み敷地を一段と高くして家屋を建て、いざという時の避難場所として水屋を設けるなど、独特な家屋構造を生み出してきました。それでも、しばしば洪水が襲い、尊い生命や財産が奪われました。
そこで、当地域一帯の洪水を防止するため、宝暦3年に幕府の命によって平田靭負ら薩摩藩士のお手伝普請が実施され、苦難の末、木曽三川の分流(油島の締切堤)と大榑川洗堰の設置が行われ(宝暦の治水事業)、洪水の危険性が軽減されました。
この木曽三川は、明治20年(1887年)、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導により分流工事に着手し、明治33年に分流工事が完成したことによって、いっそう安全性が高まり、農作物の収穫量が増加しました。
一方、行政区域については、明治4年(1871年)の廃藩置県によって笠松県など複数の県に分かれ、その後岐阜県の所属となりました。明治30年(1897年)に海津郡が設置され、さらに、昭和29年(1954年)に城山町(池辺村大字駒野新田、釜段字徳島編入)、石津村、下多度村が合体して南濃町が、続いて翌年の昭和30年(1955年)に、高須町、東江村、西江村、大江村、吉里村が合体、今尾町大字平原を編入して海津町が、今尾町(大字平原を除く)、海西村が合体して平田町が、それぞれ誕生し、今日に至っています。

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