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岐阜県史跡

2020年10月2日

ID:1252

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庭田貝塚

庭田貝塚の写真

縄文時代の貝層を伴う集落遺跡庭田貝塚は、養老鉄道駒野駅の北西約1.4キロメートルに位置する岐阜県唯一の海水産貝塚です。故小川栄一氏によって明治43年(1910)8月に発見され、翌年1月の調査によって貝塚の存在が確認されました。本貝塚の本格的な調査は、昭和51年に関西大学教授の網干善教氏により一部実施されました。
また、平成6年(1994)に名古屋大学文学部教授の渡辺誠氏により遺跡の範囲確認調査を実施しました。
貝塚を構成する貝類はマガキが主でウネナシトマヤガイ、ハマグリ、アカニシ、イボニシ、オオノガイ、サルボウ等です。また、同所より出土した土器片は、縄文中期のものが大半を占めています。

羽沢貝塚

羽沢貝塚の写真

西に養老山地の断層崖をひかえ、その急斜面に形成された扇状地の末端近くに位置する羽沢貝塚は、明治43年8月に故小川栄一氏により発見され、大正8年(1919)には仰臥した熟年の人骨一体が発見されました。
この貝塚は、東西約20メートル、南北約25メートルの範囲内に形成され、貝層形成期は縄文海岸線の後退期(縄文晩期後半)に当り、貝類はヤマトシジミが99パーセントを占めています。
主な出土品には、土器と骨角貝製品、石器、人骨10体、甕棺3基があります。

高須藩主歴代墓

高須藩主歴代墓の写真

天平年間行基が開基した寺院を復興したものと伝えられ、高須藩松平氏の菩提寺となった行基寺に、元禄13年(1700)から幕末まで高須藩主であった松平氏歴代の墓9基があります。(現在、非公開です)

石津薩摩工事義歿者墓

石津薩摩工事義歿者墓の写真

宝暦4、5年(1754~55)の薩摩藩士による御手伝い普請は他に例をみない困難な治水工事で、多くの犠牲者を出しました。
南濃町太田の円成寺境内に13名の薩摩藩士が手厚く祀られています。

春岱今尾窯跡

春岱今尾窯跡の写真

尾張の名工として名高い加藤春岱が、今尾領主9代目の竹腰正美に招かれたのは嘉永4年(1851)のこと。鯰池の西に陶器窯を築き、3年余りの間に杯・茶碗・水指・灯籠など数多くの作品を焼き上げました。春岱の円熟期であり、領主の手厚い保護のもとで作陶に打ち込んだこれらの作品は、美濃では数少ないお庭焼きでもありました。

今尾常榮寺薩摩工事義歿者墓

今尾常栄寺薩摩工事義歿者墓の写真

薩摩藩士黒田唯右衛門ほか5名の墓。
幕府の命令により、洪水に苦しむ美濃の人々のために、薩摩藩士がその命と引きかえに成しとげたお手伝い普請の殉死者の墓です。

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市民生活部 文化・スポーツ課 

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