宝暦治水工事の総奉行であり、工事完了ののち亡くなった薩摩藩家老平田靱負の亡きがらは、京都の薩摩藩ゆかりの大黒寺へ運ばれそこで内葬されました。
ここはもと長福寺という名前でしたが、江戸時代初め、この伏見に藩邸を構えた薩摩藩主島津義弘の望みに応じて島津家の守り本尊に因んで大黒天を本尊とし、寺名も大黒寺と改めて薩摩藩の祈願所となったそうです。
昭和62年(1987)の本堂新築の際、平田靱負の墓石も現在の位置に移動されました。そのとき地下4mから石棺が出土しましたが、中が朽ちており詳しくは明らかになっておりません。
別名「薩摩寺」とも呼ばれるこのお寺の前庭には、高さ3m以上もある「薩摩藩義士碑」も立てられており、静かな町並みの一角でその歴史を伝えています。なお、平田靱負だけでなく、幕末の寺田屋事件で落命した9名の薩摩藩士もここに眠っています。
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